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今日は何の日?
842年(承和9年)7月17日 皇太子・恒貞親王派の伴建岑、橘逸勢らを謀反の疑いで逮捕(承和の変)
歴史の事件において常に出てくるのが、讒言と連座です。
そして、今回も連座によって多くの人物が処分されています。
讒言(ざんげん)他人を陥れる為、ありもしない事を目上の人に告げ、その人を悪くいう事
連座(れんざ)刑罰の一種で罪を犯した本人だけでなく、その家族などに刑罰を及ぼす事
事件が起こるまでの経緯
823年(弘仁14年)嵯峨天皇(さがじょうこう)は譲位し、異母弟の淳和天皇(じゅんなてんのう)が即位します。
833年(天長10年)には、嵯峨上皇の皇子・仁明天皇(にんみょうてんのう)が即位し、その皇太子に淳和上皇の皇子・恒貞親王(つねさだしんのう)が立てられます。
恒貞親王の母は、嵯峨上皇の娘の正子内親王(まさこないしんのう)であったため、嵯峨上皇が淳和上皇の反対を押し切り実行したものでした。
このままいけば、嵯峨上皇の系統と淳和上皇の系統が皇位に交互に立つことになる予定でした。
しかし1人の人物が出てくることによって、あやしくなってきます。
その人物が、藤原北家出身の藤原良房(ふじわらの よしふさ)。
彼は嵯峨上皇と、皇后の橘嘉智子(たちばなの かちこ)の信任を受け、急速に台頭してきました。
そして、妹の順子(のぶこ)が仁明天皇の中宮となり、通康親王(みちやすしんのう)を産むと皇位継承を望むようになります。
それに不安を持ったのが、恒貞親王と父の淳和上皇です。
~嵯峨上皇と淳和上皇、藤原氏の関係図~
恒貞親王には、有力な貴族の後ろ盾がなく、また、淳和上皇は異母兄の平城上皇(へいぜいじょうこう)と嵯峨上皇の争いで、平城上皇の皇子・高岳親王(たかおかしんのう)が廃太子とされるを見ており(淳和天皇は高岳親王に代わり皇位に就いている)、争いに巻き込まれることを恐れていた為、恒貞親王の皇太子辞退を度々奏請しますが、その都度嵯峨上皇に慰留されていました。
しかし、840年(承和7年)に淳和天皇が崩御し、2年後の842年(承和9年)の7月には嵯峨上皇も病に伏してしまいます。
これに危機感を持ったのが、皇太子に仕える春宮坊帯刀舎人の伴健岑(ともの こわみね)と但馬権守(たじまごんのかみ 兵庫県北部の国司)の橘逸勢(たちばなの はやなり)です。
春宮坊(とうぐうぼう)皇太子の御所の内政をつかさどる機関
帯刀舎人(たちはきとねり)律令制での武官。警護の任務にあたる下級役人
伴健岑は名族、大伴氏の出身。
なお大伴という名字は淳和上皇の名が大伴だった為、天皇に憚って伴氏へ変更しています
橘逸勢は書で有名な三筆の1人。他の2人は空海(くうかい)と嵯峨上皇
伴健岑と橘逸勢は皇太子の身に危険が迫っていると察し、皇太子を東国に移すことを画策します。
そして、その計画を平城上皇の皇子・阿保親王(あぼしんのう)に相談します。
しかし、阿保親王は賛同せず、皇后の橘嘉智子に密書で上告したのでした。(因みに橘嘉智子は橘逸勢の従姉妹にあたります)
驚いた嘉智子は信頼する中納言・藤原良房に相談し、良房はこの件を仁明天皇に上告します。
7月15日に嵯峨上皇が崩御すると、2日後の17日には仁明天皇が、伴健岑と橘逸勢らを逮捕させ京都の警備を警戒させます。
皇太子は、直ちに辞表を天皇に差し出しますが、皇太子に罪はないとして1度は慰留されました。
しかし、政局が大きく変わり、23日に藤原良相(ふじわらの よしみ 良房の弟)が兵を率い皇太子の御座所を包囲します。
出仕していた大納言・藤原愛発(ふじわらの ちかなり)、中納言・藤原吉野(ふじわらの よしの)、参議・文室秋津(ふんやの あきつ)らが逮捕されました。
藤原愛発は皇太子の妻の父、藤原吉野は淳和上皇の忠実な側近、文室秋津は皇太子の春宮大夫という役職にありました。
皇太子派の処罰
仁明天皇は詔を発すると、伴健岑と橘逸勢らを謀反人と断じ、恒貞親王は謀反には無関係としながらも、責任を取らせるため廃太子とします。
そして、藤原愛発は京都追放、藤原吉野は太宰員外帥(大宰府の長官)へ、文室秋津は出雲員外守(いずも 島根県東部の国司)へ左遷されました。
首謀者の伴健岑は隠岐(おき 島根県隠岐郡)へ、橘逸勢は伊豆(いず 静岡県伊豆半島)へ流罪となり、逸勢は護送中に遠江(とおとうみ 静岡県大井川以西)で病死しています。
この結果、伴氏、橘氏の多くが連座で処分され打撃を受けました。
また、藤原良房のライバルである同じ藤原氏の藤原愛発や藤原吉野が失脚し、良房だけが昇進を重ねていき、藤原氏北家の繁栄の基礎を作ることとなりました。
スマイリー
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コメント
スマイリーさん、人間関係難しいメモしながら読んだけどやっぱり難しい!よくこんな難しい文章理解しながら書けると感心しっぱなし、後でまた読んでみるけど理解するまで大変だと思います
コメントありがとうございます。
人間関係難しいですよね。同じ人が何度も名前が変わりますから。出来るだけ同じ名前で書きたいんですけど、そうすると流れがおかしくなりそうです。
分かりにくい文章を読んでいただきありがとうございます。