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今日は何の日?
1870年2月5日 明治政府が華族のお歯黒と描き眉を禁止する。
お歯黒の歴史
お歯黒する女性
明治時代以前の日本や中国西南部・東南アジアの風習で主に既婚女性、まれに男性などの歯を黒くした化粧法。
起源は草木や果実で歯を染める風習があり、後に鉄器文化とともに大陸から日本にも伝わったようです。
古墳に埋葬された人骨や埴輪にはお歯黒の跡が見られたり、天平勝宝5年(753年)には鑑真が中国から持参した製造法が東大寺の正倉院に現存しています。
この鑑真が伝えた製法は、古来のものより優れていたため一般にも徐々に広がりますが、家庭で作れる鉄漿(おはぐろ)より高価と言う欠点も持っていました。
688年ー763年6月25日
唐(中国)の生まれ。奈良時代の帰化僧。唐招提寺を創建で有名。
鑑真像
平安時代末期には、対象が女性だけでなく、男性貴族や平氏等の武士、大規模な寺院の稚児も行いました。
特に皇族・上級貴族は少年少女でもお歯黒と引眉を行うようになり、皇室では幕末まで続いています。
室町時代には一般の大人まで浸透し、戦国時代になると一部の戦国武将が戦場に赴くにあたって、首を取られても見苦しくないように化粧までしたそうです。
しかし、江戸時代になると、皇族や貴族以外の男性ではほとんど廃絶します。
また、悪臭や手間、そして老けた感じにみられるなどの理由で若い女性からも敬遠され、既婚女性や18~20以上の未婚女性・遊女・芸妓の化粧として定着します。
こうして明治時代に出されたお歯黒禁止令により、徐々に廃れて大正時代にはほぼ完全に消えてます。
現代においては演劇や花街・一部の祭りでのみ見られるだけとなりました。
お歯黒の目的
綺麗に施されたお歯黒は、歯を目立たなくして顔つきを柔和にする効果があります。
まだ、歯科衛生が十分進歩してなかった時代には、歯並びや変色を隠すだけでなく、口腔内の悪臭・虫歯・歯周病に効果がありました。
この為、江戸時代以前の女性や身分の高い男性にとって、お歯黒は口腔の美容と健康に欠かせないたしなみとなってました。
但し、お歯黒を見慣れない人にとっては、黒い歯は奇異で醜悪なものに映り、単に遅れた奇習なものとみなされており、現代の日本では、美容目的の化粧としての意味はほぼ失われてます。
引眉
歌川国貞「富貴草園遊覧」(右の女性が引き眉、かつ、お歯黒)
引き眉とは奈良時代から江戸時代にかけて行われた化粧法で、眉を剃る、または抜くこと。
眉の描き方は時代で変わっており、奈良時代は眉を剃るあるいは抜いた後に細い弓型の眉を墨で描きました。
平安時代~安土桃山時代は除去した眉より高い位置に「殿上眉」長方形の眉を墨で描きます。
この際に、お歯黒とセットで行われています。
室町時代になると「殿上眉」がさらに高くなり、能面にも写されるようになります。
能面
江戸時代にはお歯黒と同じで、既婚女性と18~20歳以上の未婚女性だけが行いました。
描き方は江戸中期までは眉を剃る、または抜いたあと、元々の眉を薄い墨でなぞり、江戸後期以降は眉を描かなかったことが多いようです。
これも文明開化以降、お歯黒とともに衰退し、明治時代中期にはほとんど見られなくなりました。
スマイリー
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