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4月3日の今日は何の日?
781年山部親王が即位して第50代桓武天皇となる。
桓武天皇と言ったら平安時代では有名な天皇ですね。
都を平安京に移した天皇ですから。泣くよ坊さん、平安京(794年)
僕らの頃は、こうやって覚えたけど、今はどうなんでしょう?
桓武天皇
生誕 737年(天平9年)-806年4月9日(延暦25年3月17日)
在位 781年4月30日(天応元年4月3日)-806年4月9日(延暦25年3月17日)
桓武天皇は白壁王(後の光仁天皇)の第一皇子です。
しかし、第一皇子であったにもかかわらず、天皇候補ではありませんでした。
それは母の身分が低かった(生母は朝鮮半島から渡来した百済系の出身だった)ためです。
光仁天皇の皇后は井上内親王(聖武天皇の娘)でした。
当然、皇后・井上内親王の息子である他戸親王(おさべしんのう)が皇太子であり、天皇候補でしたが、脱落しています。
それは、井上内親王が光明天皇天皇を呪詛(じゅそ・呪い殺すこと)した為という事らしいです。
妻が夫を???
これにより、井上内親王は皇后の位を廃されて、息子の他戸親王も皇太子を廃されました。
このお陰で山部親王は皇太子になることができたのですが、これはよくある宮廷闘争、藤原氏の陰謀があったようです。
因みに井上内親王と他戸親王は、宝亀4年(773年)に難波内親王(光明天皇の同母姉)が亡くなった件でも呪詛で殺害した嫌疑がかかり、他戸親王と共に庶民に落とされ、幽閉された後、二人とも同時に亡くなっています。(自殺?暗殺?)
多分、これも陰謀なんでしょうが、ここまで皇族(それも皇后と皇太子)を徹底的に落とす貴族社会も恐ろしいですね。当時、光明天皇は何をしてたんでしょうかね。
天応元年4月3日(781年4月30日)に父・光明天皇から譲位され即位すると、翌日には弟の早良親王を皇太子とします。
但し、この皇子も後に藤原種継(ふじわらの たねつぐ)暗殺の件により廃太子となり、流罪される途中に抗議の絶食で亡くなっています。
これを受け、息子の安殿親王を皇太子に立て、延暦25年3月17日(806年4月9日)に崩御すると安殿親王が天皇として即位します(平城天皇)。
桓武天皇の系譜
桓武天皇は大化の改新で中心人物であった天智天皇(中大兄皇子)の系統です。
しかし、父の光仁天皇が即位するまでは、天智天皇の弟であった天武天皇(大海人皇子)の系統が天皇となっていました。
これは壬申の乱で天智天皇の息子の大友皇子(弘文天皇)が天武天皇に敗れた為、天武天皇の系統が代々天皇となってましたが、48代の称徳天皇には生涯独身で子供がいなかった為、光仁天皇が天皇に指名され、天智天皇系へと戻りました。
平安京遷都
平安京の模型
桓武天皇は平安京(京都府)遷都を実行します。これは、当時の平城京(奈良県)が奈良仏教寺院の影響を強く受け過ぎていた事を嫌ったためです。
この頃の京都はまだ未開の地であったようですが、延暦3年(784年)に長岡京(京都府長岡市)に都を造営します。
この時、長岡京の造営使(責任者)だったのが、藤原種継でした。しかし、種継は造営監督中に矢で射られ翌日亡くなってしまいます。
この犯人が大伴氏一族で、首謀者とされたのが、大伴家持(おおともの やかもち)です。
大伴家持と言えば、歌人として有名で、六歌仙の一人でもあります。
事件当時にはすでに亡くなっていたにも関わらず、官位をはく奪されています。
大伴家持
それと同時に桓武天皇の弟の早良親王が廃嫡・配流される途中で亡くなります。元々種継とは不仲だったそうですが、事件との関連は定かではありません。
こういった事件で不安を感じたのか、10年後の延暦13年(794年)にはさらに長岡京の北東にある平安京へと遷都します。
桓武天皇の治世
蝦夷(えみし)を服属させ、東北地方を平定するために3度の征討を行っています。特に、3度目は延暦20年(801年)に坂上田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)を征夷代将軍とし、蝦夷の平定が成功しています。
坂上田村麻呂
しかし、晩年の延暦24年(805年)には、平安京の造営と東北地方の征討が農民の負担を圧迫するという理由で中断してしまいます。
また、農民負担の軽減の為、軍隊に健児制(こんでいせい)を導入しますが、この制度はすぐに機能しなくなり、朝廷には軍事力がない状態となってしまいます。
その反面、裕福な農民は自衛の為武装していき、武士が発生するきっかけとなりました。
文化面では、最澄を短期留学生として唐で天台宗を学ばせ、日本の仏教に新たな動きをもたらす反面、南都六宗と言う奈良時代既存の仏教には圧迫を加えています。
最澄
スマイリー
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