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今日は何の日?
1185年2月19日 屋島の戦い。一ノ谷で敗れた平氏軍を源義経が奇襲。那須与一が扇の的を射落とす。
屋島の戦い 扇の的を射抜くシーン
合戦の経緯
1185年2月7日に一ノ谷で敗れた平氏軍は、大損害を受けながらも、屋島(香川県高松市)に内裏(天皇の御所)を置き、本拠地としていました。
また、平知盛(たいらのとももり 清盛の4男)を大将として彦島(山口県)にも本拠を置いていました。
こうして瀬戸内海の制海権を握っていましたが、これには平氏の水軍力が基にありました。
一方の源氏軍には水軍力がなく、屋島・彦島を攻めることができませんでした。
朝廷との関係では、1184年7月に後白河法皇が安徳天皇を廃位にし、後の後鳥羽天皇(安徳天皇の弟)を即位させます。
これにより、平氏は朝廷との関係が崩れてしまいます。
しかし、平氏の力はまだ強く、中国地方に残っていた為、源頼朝は弟の範頼(のりより)を大将として派遣します。
本来、この役目は義経が受けるものでしたが、京都が政情不安であった為、義経は動くことができませんでした。
中国地方を進軍する範頼ですが、関門海峡を平知盛に押さえられていて、九州へ進むことができず、おまけに食料不足があり、一時期撤退します。
それでも、翌年1月には範頼は食料と船を調達して豊後の国(大分県)に渡ることに成功し、平氏方の武将を破ります。
範頼は背後から知盛を攻めたかったのですが、船が不足した為実行できませんでした。
そのことを知った義経は出陣を朝廷に願い出て許可を得ます。
水軍を持たない義経軍は、摂津の国(大阪府)の水軍渡辺党・熊野水軍(和歌山)・伊予水軍(愛媛)を味方につけ摂津の国に兵を集めます。
逆櫓論争 義経VS梶原景時(かじわらのかげとき)
出港しようとする義経は軍議(合戦の会議)で梶原景時と揉めたようです。
原因は、景時が船の進退を自由にするために逆櫓(さかろ)を付けようと提案したことです。
しかし、それに義経は反対し、逆櫓を付けずに少数の兵で出撃しました。
この時の因縁が原因となって、景時が頼朝に義経の事を悪く言い、将来義経が滅びる事になります。
(但し、別の説では景時は範頼と行動を共にしていたという見解が有力であり、この話は虚構ともされています。元々、義経人気が高く、滅びた義経を贔屓したいのでこういう話が出てきたのでしょうか。)
2月18日2時に義経はわずか5艘で渡辺津(大阪府)を出港し、翌日には阿波勝浦港(徳島県)に着いたそうです。
当時は、暴風雨で出港を見合わせようとしていたそうですが、義経は強引に船頭を脅し出港しました。
しかし、その甲斐あって通常3日かかるところを、わずか1日と4時間で着きます。
別の説では4時間で着いたとも言われてますが、流石に無理でしょう。
大阪から徳島まで船頭が櫓をこいでたった4時間とは。
そんな屈強な船頭がどこに?
こんな船ですよね。櫓をこぎ過ぎて筋肉痛になりそうです(笑)
勝浦に上陸した義経は、地元の武士を味方につけ、屋島を奇襲します。(義経は奇襲が好きですね)
その時、平氏側は源氏に味方した武将を討伐に向かっており、屋島にはわずかしか残っていませんでした。
襲われた平氏は屋島を捨て、一度海上に逃れます。
那須与一登場
義経の兵力が少ないと知った平氏は、屋島を奪い返そうと激しく攻めてきます。
しかし、夕方になって休戦状態になると、平氏軍から美女の乗った一艘の小舟がやってきます。
竿の先に扇がつけられており、これを射るように挑発します。(戦の最中だと言うのに優雅さを感じますね。)
義経は弓の名手を探し、畠山重忠(はたけやましげただ)に命じますが、重忠は辞退し、那須十郎と言う武士を推薦します。
しかし、傷が癒えてなかった十郎も辞退し、代わりに弟の那須与一を推薦します。
与一は見事に扇の的を射抜き、両軍から歓声があがります。与一はこれを見て舞を始めた平氏の武将をも、義経の命令で射殺し、我に返って起こった平氏が再び攻め始めます。
しかし、義経は平氏軍を撃退し、味方の大軍がやってきたため、平氏は彦島へ撤退します。
そして最後の決戦、壇ノ浦の戦いをむかえる事となります。
那須与一って?
那須与一
那須資隆(なすすけたか)の11男として生まれ、幼少時より弓が達者だったそうです。
源平の戦いでは兄の十郎為隆と共に源氏方につき、扇の的を射落とす功で頼朝から恩賞として5ヵ国に土地を受けます。
11男であるにもかかわらず、他の9人の兄たちは平氏方につき、十郎為隆は後に罪を受けた為、家督は与一が継ぎました。
この時に父と同じ「資隆」を名乗ってます。
その後、逃亡していた兄達を許し、土地を分け与えて下野の国(栃木県)における那須氏の基盤を築きます。
与一の死後は兄の五郎資之(ごろうすけゆき)が継ぎました。
スマイリー
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