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今日は何の日?
1609年4月5日 琉球の尚寧王(しょうねいおう)が薩摩藩主・島津家久(しまず いえひさ)に降伏する。
島津家久と言っても、、叔父にも家久がいるので、忠恒(ただつね)と言った方がいいのかも。
島津家久(忠恒)とは
島津家18代当主・薩摩藩の初代藩主
天正4年(1576年)11月7日、島津義弘(しまず よしひろ)の3男として生まれます。
島津家は島津義久(しまず よしひさ・義弘の兄)が当主でしたが、義久には男児がおらず、義弘が継ぎます。
忠恒は3男なので、本来は後継者になれないはずですが、長男が早死にして、次男の久保(ひさやす)も文禄の役の時、朝鮮で亡くなると、後継者に指名されます。
その時、義久の娘であり、兄嫁(久保の妻)亀寿と結婚しています。(つまりはいとこ同士)
亀寿とは不仲だったようで、義父の義久が生きていた時は、側室を持たなかったものの、義久の死後には8人もの側室を抱え、33人もの子女をもうけています。(驚)
後に家久と改名しますが、家久という名は、徳川家康より家という一字を頂いて、名乗ることになります。
おっと、話が、忠恒の方に・・・
琉球王国(りゅうきゅうおうこく)
首里城
琉球王国は1429年から1879年までの450年間、琉球諸島を中心に存在した王国です。
最盛期には、奄美群島・沖縄諸島・先島諸島まで統治しています。
総人口は17万人と言う小さな王国でしたが、東南アジアとの交易で大きな役割を果たし、特にマレー半島のマラッカ王国とは深い結びつきがありました。
琉球という呼び名は、中国の隋(581年~618年)から一方的に呼ばれた蔑称で、「流求(溺れ助けを求む)」、「流鬼(溺れる鬼)」、「留仇(敵のいる所)」などと表記されていました。
しかし、島民は「おきなわ」という発音に近い呼ばれ方をしていて、奈良時代の皇族・淡海三船(おうみの みふね)が記した鑑真(がんじん・奈良時代の僧)の伝記には島名が「阿児奈波」と初めて出てきます。
琉球国の歴史
琉球国の正史「中山世鑑(ちゅうざんせいかん)」や「おもろさうし」には12世紀に保元の乱で敗れた源為朝(みなもとの ためとも)が今の沖縄県に逃れ、その子が琉球王家の始祖・舜天(しゅんてん)になったとされています。
源為朝が琉球に逃れたかはともかく、舜天と言う人物は第二尚氏の2代目王・尚真(しょうしん)が建立させた「石門之東門之碑文」や3代目王・尚清(しょうせい)が建立した「かたのはな碑」にも舜天の事が彫られており、琉球王統は日本人だと認識されていたようです。
これが後世、曲亭馬琴(きょくてい ばきん)によって「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」が書かれました。曲亭馬琴は滝沢馬琴の名でも知られてますね。
琉球王国が統一されたのは、1429年とされてます。それまで、三山時代と言う北山(ほくざん)・中山(ちゅうざん)・南山(なんざん)に分かれていた琉球を中山出身で第一尚氏の尚巴志王(しょう はしおう)が統一します。
しかし、第一尚氏の時代は政権基盤が不安定で、また、豪族の力が強く、たった63年で瓦解しています。
第二尚氏の時代へ
第一尚氏7代王の尚徳王(しょう とくおう)が亡くなると、第一尚氏6代王の尚泰久王(しょう たいきゅうおう)の重臣であった金丸(尚円王・しょうえんおう)が1469年にクーデターを起こし、第二尚氏王統が成立します。
この王朝は1571年には奄美群島北部まで征服し、最大の版図を築いています。
但し、琉球国はその当時、明国に従属しており、豊臣秀吉が明や朝鮮を征服しようとして助勢を命じた時には一度は拒否してます。
(文禄・慶長の役では実際には食料を提供してますが。)
1609年には薩摩藩は前年の謝名利山(じゃな りざん)の無礼や謝恩使の不履行を理由に琉球侵攻をします。
島津軍3000人、琉球軍4000人の戦いでしたが、4月1日に島津軍が首里城まで侵攻すると、4月5日には尚寧王が首里城を開城し降伏します。
それ以後は、薩摩藩にも従属となり、明に変わって中国を支配した清にも朝貢を続ける、両方に属する状態となります。
こんな状態でも表面上、琉球国は独立国家としての体裁を保ち、独自の文化を維持しました。
1871年に明治政府は廃藩置県により、琉球国を鹿児島県の管轄としますが、1872年には琉球藩を設置し、琉球国王・尚泰王(しょう たいおう)を侯爵とします。
しかし、尚泰は清国との関係を絶ち、上京を命じる明治政府に対し従わなかった為、明治政府は首里城の明け渡しを命じ、4月4日には琉球藩の廃止と沖縄県の設置がなされます。
沖縄県令(県知事)には前の肥前鹿島藩の鍋島直彬(なべしま なおよし)が赴任することで、尚氏の琉球支配が終わります。
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スマイリー
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