織田家の当主とはなれても、天下取りは遠かった信長の次男、織田信雄

今日は何の日?
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今日は何の日?

1630年(寛永7年)4月30日織田信雄の命日です。

織田信雄(おだ のぶかつ)は1558年(永禄元年)に織田信長(おだ のぶなが)の次男として誕生しています。

同年に誕生した三男・信孝(のぶたか)がいて、出生順位が逆の説もありますが、ここでは通説の次男とします。

北畠家への養子へ

1567年(永禄7年)織田信長は稲葉山城の戦いで斎藤龍興(さいとう たつおき)に勝利すると、次の目標は伊勢(三重県北中部)の北畠氏攻略に移っていました。

同年、北伊勢の神戸具盛(かんべ とももり)長野具藤(ながの ともふじ 北畠具教の次男)を降伏させ、北伊勢8郡を手に入れます。

神戸氏や長野氏は南伊勢の北畠氏に従属しており、信長と対立することとなります。

この時、神戸氏は信長三男の信孝を養子として迎え入れ、神戸信孝と名乗ります。

長野氏にも信長の弟・信包(のぶかね)を一時養子としています。

この頃の北畠氏当主は北畠具房(きたばたけ ともふさ)ですが、父の北畠具教(きたばたけ とものり)が実権を握っていました。

1569年(永禄12年)8月、北畠氏は信長の攻撃に対し、大河内城(おおこうちじょう)に籠城し戦いますが、結局和睦し、その条件として出されたのが信雄の北畠氏への養子でした。

北畠具教の娘と結婚した信雄は北畠具房の養子となり、1572年(元亀3年)には元服し北畠具豊(きたばたけ ともとよ)と名乗ります。

1575年(天正3年)に北畠家の家督を相続すると、大河内城から田丸城に移ります。

また、同年の越前(福井県)一向一揆討伐に参戦しています。

この頃より北畠家の実権を掌握し始め、名を具豊から信意(のぶおき)へと変えています。

「具」という字は北畠氏の名で使われている字で、「信」は織田家で使われてる字ですね。

つまり、北畠氏とは縁を切ったという事。

実際に、1576年(天正4年)11月25日には三瀬御所の具教を攻めさせ、具教と2人の息子、14人の北畠家臣を殺害させています。

信意自身も田丸城に長野具藤ら北畠氏一門を呼び出し謀殺しました。(三瀬の変)

これにより、北畠氏の南伊勢5郡は信意へと継承されます。

1577年(天正5年)には兄・織田信忠(おだ のぶただ)のもとで紀州(和歌山県)征伐へ従軍、1578年(天正6年)4月、信忠のもと石山本願寺を攻め、5月には播磨国(はりまのくに 兵庫県南西部)神吉城(かんきじょう)を攻めています。

信意の失敗・・・①

1579年(天正7年)9月16日、信意は信長に無断で隣国の伊賀国(いがのくに 三重県西部)に3方から攻め入ります。

しかし、伊賀十二人衆と言われる自衛集団に大敗し、部将を失います。

これを聞いた信長は怒り、「親子の縁を切る」とまで叱責されました。(第一次天正伊賀の乱)

1580年(天正8年)田丸城が焼失すると、松ヶ島城を築城し居城とします。

1581年(天正9年)には信長が指令し、大和(やまと 奈良県)近江(おうみ 滋賀県)・伊勢の軍勢に信意も加わって、再度伊賀へ侵攻し平定します。(第二次天正伊賀の乱)

信意の失敗・・・②

1582年(天正10ねん)6月2日、織田信長が家臣の明智光秀(あけち みつひで)に討たれるという事件が発生します。(本能寺の変)

この時、兄の信忠も討ち死にしています。

光秀は6月13日には同じ織田家臣の羽柴秀吉(はしば ひでよし)によって討たれますが、(山崎の戦い)信意は本能寺の変に際し、近江国甲賀郡まで進軍したものの、戦わずに撤退しています。

更に信長の後継を目指し安土城に入りますが、失火で安土城を焼いてしまうという失点を重ねました。

清須会議から織田家中の争いへ

清須会議では、信長・信忠の後継者を目指した信意でしたが、上のような失敗から信意を推す者はなく、結局信忠の子・三法師(さんぼうし)が織田家の当主となり、信意・信孝は後見人となることに決します。

信長の遺領配分で信意は尾張(おわりのくに 愛知県西部)・伊賀・南伊勢の約100万石を相続し、名も織田姓に復姓し信勝、次いで信雄と称します。

同年10月12日、秀吉・丹羽長秀(にわ ながひで)池田恒興(いけだ つねおき)は三法師を織田家当主として決定した清須会議を反故にし、信雄を当主として主従関係を結んでいます。

その後秀吉は信孝を擁立した柴田勝家(しばた かついえ)らと争い、1583年(天正11年)4月賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)が発生します。

この時信雄は秀吉方に味方します。(弟・信孝が柴田方なので当然ですね)

5月には信孝の岐阜城を攻撃し降伏させると、信孝を尾張に送る途中で切腹させます。

更に柴田方の滝川一益(たきがわ かずます)を秀吉が降伏させると、信雄は北伊勢・伊賀を加増され、三法師の後見として安土城に入城しています。

しかし、直ぐに秀吉に退去させられ、秀吉との関係が悪化します。

1584年(天正12年)正月、近江国坂本の三井寺で信雄は秀吉と会見しますが、決裂し伊勢長島城に戻っています。

そしてここで頼ったのが徳川家康(とくがわ いえやす)です。

信雄は家康と同盟すると、同年3月6日、家康と相談した上で、秀吉に内通した疑いをかけ3人の重臣を殺害し秀吉へ宣戦布告します。

また、長曾我部元親(ちょうそかべ もとちか)佐々成政(さっさ なりまさ)・雑賀衆(さいがしゅう)とも連合し、秀吉と戦います。

織田・徳川連合軍は秀吉と戦闘状態に入り、4月9日には秀吉方の池田恒興・森長可(もり ながよし)らを討ち取ります。

しかし、伊勢では謀殺された3重臣の一族が造反し、更に秀吉の計略で九鬼嘉隆(くき よしたか)らが謀反すると、羽柴勢の侵攻で峯城・松ヶ島城・戸木城が落城します。

そして11月15日信雄は家康に無断で、伊賀と南伊勢に加え北伊勢の一部の秀吉への割譲などを条件に単独講和を申し込みます。

大義名分を失った家康は撤兵してしまい、他の反秀吉勢力が個別に撃破されていきます。

豊臣政権期以後の信雄

以後は秀吉に臣従し、1585年(天正13年)8月には富山の役に従軍します。

1587年(天正15年)には九州征伐に出陣する秀吉を見送り、九州征伐後には内大臣に任官されます。

1590年(天正18年)1月、秀吉の養女となった長女・小姫(おひめ)徳川秀忠(とくがわ ひでただ)と結婚しています。

同年の小田原征伐にも従軍し、伊豆(いずのくに 静岡県伊豆半島)韮山城(にらやまじょう)攻めから武功を上げ、家康が関東へ国替えになった後の三河国(みかわのくに 愛知県東部)遠江国(とおとうみのくに 静岡県大井川以西)への転封を命じられます。

しかし、父祖の地・尾張からの移動を嫌がり拒否したことから改易されます。

改易後は下野国(しもつけのくに 栃木県)に流罪となり、出家して常信と号します。

その後は出羽国(でわのくに 山形県・秋田県)伊予国(いよのくに 愛媛県)に流され、1592年(文禄元年)の文禄の役の際家康の仲介で赦免され、秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)となり大和国内に1万8000石を領しています。

その際、嫡男の秀雄(ひでかつ)も越前国大野に5万石を与えられました。

しかし、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは大坂で傍観的態度に終始し、西軍に与したと判断された為か秀雄共々改易されてしまいます。

戦後は豊臣家に出仕しますが、1614年(慶長19年)の大坂冬の陣の直前に徳川方に転身しています。

1615年(元和元年)7月23日、家康より大和国宇陀郡・上野国(こうずけのくに 群馬県)甘楽郡など5万石を与えられます。

後に4男信良(のぶよし)に上野小幡藩2万石を分地して、自らは京都に隠居し悠々自適の生活を送りました。

1630年(寛永7年)4月30日京都北野邸で死去します。享年73

隠居料であった大和宇陀郡の領地は5男・高長(たかなが)が相続しますが、その際小幡織田家から異論が出され、幕府の裁定で高長の相続が認められました。

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スマイリー

初めまして、スマイリーです。 現在は関東に住んでますが、九州から流れてきました。(笑) 好きなのは平安時代~戦国時代。出来ることなら、過去の世界を見てみたい。 自由になり、様々な土地に行って、歴史を感じたいです。 宜しくお願いします。
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コメント

  1. Sako より:

    Sakoです。私も歴史大好きなので、興味深かったです‼️
    大河ドラマや歴史小説にはメインにならないけど、
    ちょっと気になる人物のことがわかって、一気に読んでしまいました‼️

    • スマイリー より:

      Sakoさん どうもありがとうございます。
      いつも短くしようと思うんですが、つい長くなってしまうんですよね。
      書き始めると止まらないですね(笑)

  2. セフィママ より:

    スマイリーさん、信雄さん取りあげたんですね! 納得です(^ ^)

    • スマイリー より:

      セフィママさん 
      ありがとうございます。 そうです、今回は信雄でした。
      なんで、有名人の2代目は地味なんですかね?

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